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『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』は美しい女性のことではない?


「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」ということわざを聞いたことはありませんか?


美しい女性の表現として昔から使われていたことわざです。



芍薬(しゃくやく)は、すらりと伸びた茎の先端に美しい花を咲かせるため、すらっとした美しい女性のように見えます。牡丹(ボタン)は枝分かれした横向きの枝に花をつけるため、まるで美しい女性が座っているかのように見えます。百合(ユリ)は風を受けて揺れるさまから、女性が優美に歩く姿のように見えます。

 


このようにそれぞれが女性の美しさを例えた表現であり、そのように使われてきました。しかしこのことわざ、実は元々漢方薬の効能を表した言葉だったのです。



「立てば芍薬」の「立てば」は、イライラと気の立っている状態を示しているようです。このような時に、鎮痛・鎮痙作用のある芍薬の入った方剤を使うべし、と云うことのようです。「座れば牡丹」は、座ってばかりいる人は血液の巡りが悪くなり血の滞り(お血)が起こります。こういう人には血流を改善する牡丹の入った方剤を使うべし、と示しているようです。「歩く姿は百合の花」は、百合の花のように足元がふらつきナヨナヨと頼りなげに歩いている様子を表現しています。これは、心身症など精神衰弱が見られる人の歩く様を示しており、精神の安定をはかる百合(ユリ)が入った方剤を使うべし、と意味しています。



いかがだったでしょうか?古風な表現なので、あまり日常的に使うことは少ないかもしれませんが、使う機会があれば、ぜひ誰かに話してみてください(^^)/